明訓戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 22:51 UTC 版)
武蔵坊が治療のため地元への帰途についた日(甲子園入りのときははるばる岩手から歩いたが、このときはさすがに列車で戻った)、武蔵坊を欠いた弁慶高校は、三回戦で坂田三吉率いる大阪代表・通天閣高校に敗退(最終的なスコアは不明だが、5回終了時点で0-6の大差になっていた)。なお、武蔵坊は見舞いに訪れた山田と岩鬼が祈願する中、無事に意識を取り戻した。 山田たちの2年秋の岩手県大会では、やはり武蔵坊を欠いたまま、太平洋のいる花巻高校に準決勝で0-1で敗れた。 山田たちの3年夏の甲子園を描いた『大甲子園』では、「明訓を初めて倒した高校」として回想シーンなどでしばしば名が出た以外は具体的な描写はない。同大会の岩手県代表は、花巻高校の春夏連続出場である。 その後『ドカベン プロ野球編』『ドカベン スーパースターズ編』で数回、武蔵坊が登場したことがある。 『スーパースターズ編』で、義経が2005年の大学・社会人ドラフト一巡目で東京スーパースターズに外野手として指名され、義経は2006年にスーパースターズに入団した。
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