明福寺_(江戸川区)とは? わかりやすく解説

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明福寺 (江戸川区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/05 04:35 UTC 版)

明福寺
所在地 東京都江戸川区江戸川3-8-1[1]
位置 北緯35度41分07.5秒 東経139度53分43.0秒 / 北緯35.685417度 東経139.895278度 / 35.685417; 139.895278座標: 北緯35度41分07.5秒 東経139度53分43.0秒 / 北緯35.685417度 東経139.895278度 / 35.685417; 139.895278
山号 天川山[1]
院号 寂光院[1]
宗派 浄土宗[1]
本尊 阿弥陀如来[1]
創建年 嘉禄2年(1226年[1]
開山 親鸞[1]
中興年 文明年間(1469年1487年[1]
中興 徳誉笈公[1]
文化財
  • 木造親鸞聖人坐像
  • 木造聖徳太子立像
法人番号 9011705000192
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明福寺(めいふくじ)(みょうふくじ[2][3])は、東京都江戸川区にある浄土宗寺院

概要

1226年嘉禄2年)、親鸞によって開山された。親鸞が常陸国茨城郡笠間(現・茨城県笠間市)から京都に向かう途中、当地で旱魃に苦しんでいる村人を救うために、雨ごいをして雨を降らせたことがきっかけで当地に留まって寺を創建した[4]

その後の戦乱で廃寺化したが、文明年間(1469年1487年)に徳誉笈公が中興し、その際に浄土宗に転宗した[4]

現在の当寺の宗派は浄土宗になっているが、今も親鸞にまつわるものが残っている。例えば、親鸞が自画像を彫らんとして鏡代わりにした「鏡ヶ池」やその際に袈裟をかけた「袈裟かけの松」などがある。また「親鸞堂」と呼ばれる堂があり、親鸞像が安置されている[4]

文化財

  • 木造親鸞聖人坐像(一躯) - 江戸川区指定有形文化財・彫刻、鎌倉から南北朝にかけての作[5]
  • 木造聖徳太子立像 - 江戸川区登録有形文化財・彫刻、室町時代の作[6]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 江戸川区史.
  2. ^ お寺と墓地探し”. メモリアル事業促進協会. 2021年2月22日閲覧。
  3. ^ 『寺院名辞典』日外アソシエーツ。 
  4. ^ a b c 内田定夫 著『江戸川区史跡散歩 (東京史跡ガイド23)』学生社、1992年、86-88p
  5. ^ 江戸川区 木造親鸞聖人坐像.
  6. ^ 江戸川区 木造聖徳太子立像.

参考文献

関連文献

関連項目




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