昌壽寺 (岐阜県白川町)
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| 昌壽寺 | |
|---|---|
| 所在地 | 岐阜県加茂郡白川町赤河1444-6 |
| 山号 | 天桂山 |
| 宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
| 創建年 | 永享5年(1433年) |
| 中興年 | 平成4年(1992年) |
| 法人番号 | 3200005006606 |
昌壽寺(しょうじゅじ)は、岐阜県加茂郡白川町赤河にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は天桂山。
明治3年(1870年)苗木藩の廃仏毀釈の際に廃寺となったが、
平成4年(1992年)に、現在地に再興されて今日に至っている。
歴史
元は赤河村の増田にあった。
大沢八郎の系譜によると
永享3年(1431年)に曹洞宗の祥雲山 福禅寺が焼亡したため、永享5年(1433年)に無住であった真言宗の天桂山 昌壽院に移って、曹洞宗の昌壽寺が創建されたことが分かる。 この時に焼け残った経文が、この家に残っている。
元和元年(1615年)、初代苗木藩主の遠山友政は、苗木城の傍らに菩提寺として雲林寺を開基した。
遠山友政は、その後、領内に雲林寺の末寺を創建したり、従来から存在した他宗派の寺院を臨済宗妙心寺派に改宗して末寺とした。昌壽寺は曹洞宗から改宗されて末寺となった寺院の一つである。
昌壽寺は、赤河村と福地村を檀家としていた。
その後の経緯は、廃仏毀釈の際に古記録が処分されたため不明となっている。
明治3年(1870年)9月に苗木藩の廃仏毀釈が断行され、領内の各寺院に対して厳しく廃寺と還俗が申し渡された。
九世の義孝は、やむなく還俗し、小池桂左衛門に改名し、寺の建物と寺有地を貰って神官となった。
昌壽寺は、一軒家の板葺であったが、建物は久田見村に売り払われた。
廃寺後は、更地となり、民家が3軒建てられたが、現在は2軒となっている。
廃仏毀釈により縦方向に半分に割られた昌壽寺の寺号標が、赤河神社の階段を修繕した際に発見された。
この左半分だけの寺号標が石段の登り口に立てられている。
廃寺前の歴代住持
- 一世 勧翁〇善 承応4年1月21日没
- ニ世 華亭宗讃 貞享2年3月16日没
- 三世 法宗禅悦 元禄8年8月19日没
- 四世 随應祖類 天明3年1月29日没
- 五世 道雲智常 寛政3年7月6日没
- 六世 江嶽〇海 天保2年10月29日没
- 七世 義道智勇 弘化5年4月23日没
- 八世 玄郁 明治9年12月5日没
- 九世 義孝 明治36年12月12日没
参考文献
- 『白川町誌』 第三編 生活と文化 第五章 宗教 第四節 寺院 四 元蘇原村 ▽赤河の昌寿寺 p882-p885 白川町誌編纂委員会 1968年
- 『八百津町史 史料編』 第四編 民俗史料 第一章 藩文書 第七節 苗木藩の廃仏毀釈について 一二 赤河昌寿寺 p231-p232 八百津町史編纂委員会 昭和47年
脚注
- 昌壽寺_(岐阜県白川町)のページへのリンク