旧・片男波部屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 05:45 UTC 版)
歴史上初めて確認できる片男波部屋は1846年(弘化3年)に引退した雷部屋の十両4・温海嶽幸助が興したものである。この片男波部屋は1代で消滅した後、1880年代に玉垣部屋に所属する中ノ関が二枚鑑札で6代片男波を襲名して片男波部屋を再興したが、7代片男波(元三段目・高緑)の代に入ってから片男波部屋は再び閉鎖された。 1939年(昭和14年)に8代片男波(元幕内・開月)が花籠部屋から分家独立する形で片男波部屋を再興したものの、1942年に片男波部屋は再び花籠部屋に吸収された。片男波部屋が閉鎖された後に幕内に昇進した力士に藤田山がいた。6代・7代片男波による片男波部屋と8代片男波による片男波部屋には系統的つながりはない。
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