旧・八角部屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 06:32 UTC 版)
明治時代に初代八角(元幕内・鬼面山)が八角部屋を創設したのが最初で、その後は雷部屋所属の元大関・大鳴門が師匠死去後に二枚鑑札で2代八角を襲名して八角部屋を運営していた。3代八角(元関脇・大鳴門)の代に入って再興され、1928年(昭和3年)に雷部屋の力士たちを預かっていた8代白玉(元関脇・玉椿)が亡くなった後には雷部屋の所属力士を引き取った。しかし、幕内・雷ノ峰はすぐに立浪部屋へ移籍し、残った弟子たちの中からは番神山が十両に昇進したのみで、1933年(昭和8年)に3代は鏡山部屋に弟子を譲って部屋を閉鎖した。
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