日道_(大石寺)とは? わかりやすく解説

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日道 (大石寺)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/30 03:46 UTC 版)

日道(にちどう、弘安6年(1283年)- 暦応4年/興国2年2月10日1341年2月26日))は、日蓮正宗総本山大石寺第4世の法主

略歴

11月11日、頼道・行道・行時・日道の四人連署して新田頼綱遺領の配分を定む。
  • 嘉暦2年(1327年)11月10日、日目、土地(陸前三ノ迫加賀野・伊豆南条)譲状を日道に与う。
陸前加賀野沼畑に法華堂(本道寺)を創す(日量記・加賀野村記)
4月28日、鬼鶴御前駿河蒲原関ケ島の地を日道に寄す。
日目の命により陸奥宮野に妙円寺を創す。
この年に日蓮以来の史伝書として『御伝土代』を著した。『御伝土代』は、日蓮の誕生日を「2月16日」と明示する門下最古の文献。
  • 建武元年(1334年)1月7日、薩摩法印、(仙代問答)により日道に帰す。
1月21日、大石寺において日目の百ケ日忌を修す。
9月27日、新田孫五郎(日道弟)が、陸奥国宣を受ける。
  • 建武3年(1336年)2月、申状を認め国家諌暁を行った。
6月6日、諌暁八幡抄に奥書す。
8月4日、日目の筆写した『法華題目抄』に奥書す。
  • 延元2年(1337年)、大石寺塔中本住坊を創す。
  • 延元3年(1338年)10月13日、本尊を書写し陸前一迫多々次郎為重・河東左近将監に授与。
  • 延元4年(1339年)6月、5世日行に血脈を付す。
  • 興国2年(1341年)2月26日、59歳で死去した。

補足

  • 日目の死後に日道と日郷の間には「郷道論争」と呼ばれる根深い確執が生じているが、その真相は大石寺(日道)側が主張する如く、東坊地の相続争いという見方と、小泉久遠寺・保田妙本寺側(日郷)が主張する如く日目の跡目に関わるものだったという見方がある。

新六人

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