日蓮宗大荒行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/23 14:01 UTC 版)

日蓮宗大荒行(にちれんしゅうおおあらぎょう)とは千葉県市川市にある遠寿院で行われる日蓮宗の僧侶の修行である。
内容
毎年11月1日から翌年2月10日までの100日間、遠寿寺に大荒行堂が開設され、そこで僧侶が修行する[1]。世界三大荒行の1つとされる[2]。
修行僧は午前2時50分に起床し、1日7回の水行を行う[3]。食事は午前・午後とも5時半の1日2回で、基本はおかゆと味噌汁[3]。納豆などの副菜が付く日もある[3]。おかゆは底が見え、10秒で食べ終えてしまう量[4]。就寝は午後11時半で、睡眠時間はおよそ3時間[3]。睡眠・水行・食事を除いた時間は読経する[3]。声を張り上げ、法華経の決められた章を1日に繰り返し唱え続ける[3]。修行僧の衣装は清浄衣(死に装束)で、足袋は認められておらず裸足で修行する[1]。堂内には暖房が設けられていない[3]。外部の家族や友人と連絡を取ることは許されておらず、テレビや新聞などから情報を得ることもできない[1]。修行僧は寒さと飢えと睡魔に耐え、外界から遮断された環境でひたすら修行する[1]。
この大荒行を修了した僧侶は「修法師」の資格が与えられ、日蓮宗特有の加持祈祷である「修法」を行えるようになる[3]。延寿院ではこの祈祷の作法や伝書などを受け継ぎ、代々の住職は「伝師」として修業中の僧侶に伝授する[3]。修行の回数に応じて初行・再行・三行・四行・五行と呼ばれ、それぞれ秘法の伝授を受ける[2]。
日程
毎年11月1日に鬼子母神堂で入行式を行い、僧侶は瑞門から行堂に入る[5]。
100日間の行は自行の行法(第一段)・儀軌相承(第二段)・木剱相承(第三段)・口伝相承(第四段)の4段に分けられる[5]。その中でも始めの自行の行法では滅法の祈りを捧げるが、この間35日間は外部との面会が一切許されない[5]。
年明けとともに第三段の木剱相承が始まる[5]。
翌年2月10日に成満式が行われる[5]。成満式では瑞門が開き修行僧が行堂から出て、修法師となって初めての法楽加持が一般の信者に対して行われる[5]。その後、満行式で伝師より祈祷法許が授与されて成満式が終わる[5]。
大荒行を成満した僧侶たちは2月18日に再び遠寿寺に戻り、鬼子母神に成満したことの報告を兼ねて水行する[5]。
歴史
日蓮宗の荒行の始まりは、日蓮から京都弘通を委嘱された日像が1293年(永仁元年)に京都弘通の成就を願うため鎌倉の由比ヶ浜で身を清め、一晩に百巻の自我偈を読誦して、翌2月まで修行したことにある[6]。
遠寿院では1591年(天正19年)から100日間に渡る荒行を伝承している[5]。現行の修行システムは明治時代に形成[7]。しかし、修行中の死者や、誤った上下関係による暴力の問題が起きていた[7]。そのため、2017年(平成29年)から行堂改革に乗り出した[7]。
新型コロナウィルスの影響で2023年(令和5年)には3年ぶりに大荒行が開催された[4]。
脚注
- ^ a b c d “正中山 法華経寺|日蓮宗 寺院ページ”. 日蓮宗. 2025年5月18日閲覧。
- ^ a b 「大本山中山法華経寺 大荒行始まる」『日蓮宗新聞』2005年11月10日。2025年5月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 松森好巨「100日間ひたすら続く水行、読経 命がけの「大荒行」とは」『47NEWS』(共同通信社)2018年3月8日。2025年5月18日閲覧。
- ^ a b 杉村和将「冬の水行に睡眠2時間 過酷な100日修行、25歳副住職が達成」『朝日新聞』2023年2月25日。2025年5月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “祈祷と大荒行[総括-遠寿院]”. 遠寿院. 2025年5月18日閲覧。
- ^ “特集:荒行の始まり”. 日蓮宗佐賀県宗務所. 2025年5月18日閲覧。
- ^ a b c 藤田庄市「遠寿院の行堂改革 ”初行僧のミスは再行僧の責任”」『週刊仏教タイムズ』2020年2月27日。
関連項目
- 千日回峰行 (比叡山) - 世界三大荒行の1つ
外部リンク
- 日蓮宗大荒行のページへのリンク