日本語教師連盟と『たより』
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「長沼スクール」の記事における「日本語教師連盟と『たより』」の解説
1954年、日本語教師養成講習会の出身者らによる日本語教師連盟が発足し、機関誌『たより』が始まった。この連盟は当時、東京日本語学校内に本部事務所を置き、活動していた。翌年には参加者70名を集めて第1回研究会が開かれ、さらに京浜地方会員の懇親会が催されるなど、当初から連盟会員の交流の場として活発であった。この連盟は、1962年に日本語教育学会ができるまで、日本で唯一の日本語教師の研鑽・情報交換の場であり、教育実践と研究活動としては、戦後日本で最も早く行われたものである。当時は宣教師への個人教授等が多く、数少ない教師が全国に散らばっていたが、そうした教師たちの拠り所として日本語教師連盟の果たした役割は決して小さくない。
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