日本写真会
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日本写真会(にほんしゃしんかい)は、資生堂初代社長であり写真家でもあった福原信三が近代写真の黎明期に「写真芸術」の確立を求め、当時の富裕層アマチュア写真家、および職業写真師のために1924年(大正13年)に設立した写真同好会である。創設以来90年以上の歴史と伝統を持ち、東京銀座の資生堂本社ビル内に本部を置き活動を行っている。設立メンバーには、信三の実弟である写真家福原路草や夏目漱石の肖像写真でも有名な小川一真などがいる。運営は資生堂創業家の一族によって代々受け継がており東京都写真美術館の館長を務める福原義春なども在籍している。
なお、1889年(明治22年)に設立された日本初の写真家団体日本寫眞會とは、同じ名称であるが無関係である。
関連人物
脚注
参考文献
- Matsuda Takako. “Major Photography Clubs and Associations.” In Anne Wilkes Tucker, et al., The History of Japanese Photography. New Haven: Yale University Press, 2003. ISBN 0-300-09925-8. Pp. 372–3.
- 写真家・福原信三の初心 (求龍堂 2005年)
- 福原信三と福原路草 (日本の写真家第3巻・岩波書店・1997年)
- 日本写真史(20世紀前半の状況・芸術写真の時代より)
- 写真弘社
外部リンク
日本寫眞會
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/08 18:04 UTC 版)
日本寫眞會(にほんしゃしんかい、Japan Photographic Society)は、1889年(明治22年)5月に榎本武揚を会長として設立された写真同好会である。
写真師、大学教授、技術者、商人など写真を研究・愛好する在日外国人24人、日本人32人により東京・木挽町商工会で発足した[1]。榎本会長ほか、副会長に菊池大麓とウィリアム・スタージス・ビゲロー(のち岡部長職、渡辺洪基)、書記にウィリアム・K・バートン、石川巌(写真技術書の訳書多数)、委員には小川一真、江木松四郎(江木鰐水の孫で江木写真店創業者)、会計に浅沼藤吉(浅沼商会創業者)をはじめそうそうたる顔ぶれが並んだ[1][2]。会員はほかに、小倉倹司、中島精一、江崎礼二、鹿島清兵衛などがいた[3]。海外の新技法の紹介や、それらを使った作品の発表などを通して一般への写真知識の普及に大いに貢献した[1][2]。
なお、1924年に設立された現存する写真同好会である日本写真会とは、同じ名称ではあるが無関係である。
脚注
- ^ a b c 武野谷茂夫「日本写真教育史編年資料集成 1868年〜1925年(明治〜大正期)」『日本大学芸術学部紀要』第31号、日本大学、2000年、5-19頁、ISSN 03855910、 NAID 110006177977。
- ^ a b 岡塚章子「小川一真の「近畿宝物調査写真」について」『東京都写真美術館紀要』第2号、東京都歴史文化財団東京都写真美術館、2000年、37-55,図巻頭9-12、 NAID 40005205093。
- ^ 1888 磐梯山噴火報告書 付論 第1節 1880年代における日本の写真状況と磐梯山噴火写真金子隆一、内閣府、災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成17年3月
外部リンク
- 日本写真会のページへのリンク