日本の進出と協約の締結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 22:28 UTC 版)
1907年に日本が朝鮮人の多い間島の竜井村に朝鮮人の保護を名目に派出所を設置して警官(実際は憲兵が主)を常駐させ、対抗して清も同じく局子街に辺務公署を設置したことから緊張が高まったが、1909年に間島協約を締結して日本側が間島の領有権・警察権を清側に認める代わりに朝鮮人の土地所有権や満州と朝鮮半島を鉄道で結ぶ権利などを獲得した。これに伴い、1909年11月に在間島日本総領事館が設置されている。翌年の日韓併合によって、日本と清は間島をもって国境で隣接することとなる。1911年に辛亥革命によって清が倒れ中華民国が成立した。協約は中華民国に引き継がれる形となった。
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