日本におけるドイツ国民哀悼の日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/27 20:25 UTC 版)
「国民哀悼の日」の記事における「日本におけるドイツ国民哀悼の日」の解説
第一次世界大戦の青島攻防戦で捕虜となったドイツ軍人の収容所が当時国内14ヵ所あり、不幸にして亡くなった計85名の軍人を追悼するために日独両政府は1976年に板東俘虜収容所のあった徳島県鳴門市にドイツ兵士合同慰霊碑を建てた。毎年ドイツ国民哀悼の日に在大阪・神戸ドイツ総領事館の外交官が献花している。同じく捕虜収容所のあった習志野市の習志野墓苑でも捕虜生活中にスペイン風邪に倒れた30名の海軍軍人の死を悼んで千葉日独協会の会員がドイツ大使館付武官の臨席の下に慰霊祭を執り行っている。
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