日本におけるウィットワース銃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:31 UTC 版)
「ウィットワース銃」の記事における「日本におけるウィットワース銃」の解説
幕末の日本には少数ながらもウィットワース銃が輸入されており、戊辰戦争時には庄内藩が「ウヰツウオルヅ銃十抱 但シパトロン二百ツゝ」を武器商人スネルから購入した記録がある。価格は一丁38ドルで、これは当時の通貨にして28両2分という価格だった。 我が国に輸入されたウィットワース銃は甲乙二種類が存在しており、甲は1863年型ウィットワース銃、乙は1867年製のものであった。 ウィットワース銃の弾丸は、現在のところ西南戦争戦跡での出土事例は少数ある。黒土峠の出土品には、深いくぼみが弾底部にあり、四条の細い溝が彫られている弾丸が存在するが、これは、形状や直径の違いから、マルティニ・ヘンリー銃などの他の銃の弾丸であると考えられている。
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