日下部利貞とは? わかりやすく解説

日下部利貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/18 14:52 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
日下部利貞
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位下陰陽助
主君 清和天皇陽成天皇
氏族 日下部(無姓)→日下部宿禰
父母 父:日下部歳直
テンプレートを表示

日下部 利貞(くさかべ の としさだ)は、平安時代前期の貴族陰陽師日下部(無姓)のち日下部、日下部宿禰正六位上・日下部歳直の子[1]官位従五位下陰陽助

経歴

貞観5年(863年)陰陽大属として陰陽師らと共に滋岳川人に従って大和国吉野郡高山に赴き、虫害を避けるために祭礼を修した(この時の位階従八位上)。清和朝において、陰陽大属・陰陽権允・陰陽助と一貫して陰陽寮官人を務めた。またこの間、貞観6年(864年日下部(無姓)から日下部連に改姓し、貞観15年(873年)には摂津国島上郡から右京二条三坊に本貫を移されている。

陽成朝初頭の元慶元年(877年)までに従五位下・陰陽助に叙任され、同年12月には連姓から宿禰姓に改姓した。元慶6年(882年内位の従五位下に至る。

官歴

日本三代実録』による。

脚注

  1. ^ 『日本三代実録』貞観6年8月8日条

参考文献


日下部利貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 19:32 UTC 版)

陰陽師の一覧」の記事における「日下部利貞」の解説

陰陽大属(貞観5-6年)。陰陽允(貞観15年)。陰陽助元慶元-6年)。

※この「日下部利貞」の解説は、「陰陽師の一覧」の解説の一部です。
「日下部利貞」を含む「陰陽師の一覧」の記事については、「陰陽師の一覧」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日下部利貞」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日下部利貞」の関連用語

日下部利貞のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日下部利貞のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの日下部利貞 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの陰陽師の一覧 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS