新羅征討計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 19:16 UTC 版)
聖徳太子の実弟来目皇子による第二次新羅征討計画(西暦602年 - 603年)において、推古天皇は忍海漢人を肥前国三根郡に派遣し、新羅征討の為の兵器を作る指揮を取らせた。これに由来して、この地は漢部(あやべ)郷と名付けられた。この名は綾部という形で現在でも地名や神社に残っている。 忍海漢人が選ばれた理由を福永酔剣は、指揮下で兵器製造を行なっていたのが韓鍛冶であったからではないかと推測している。
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