斧淵の成立と東郷氏の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 22:56 UTC 版)
「東郷町斧渕」の記事における「斧淵の成立と東郷氏の動き」の解説
斧渕という地名は南北朝時代より見え、薩摩国東郷のうちであった。永和4年(1378年)の高城真宗譲状に「東郷之鋒(斧)淵村」という記述があるのが地名の初見であるとされている。 斧渕村は東郷氏の統治下となっていたが、斧淵の一部の区域は大口に居住していた高城氏が領していたとされる。天正15年(1587年)の九州平定の際に東郷氏は鶴岡城に籠り川内方面に進軍していた豊臣秀吉の軍に対して抗戦の意を示したとされるが、鶴岡城を開城して秀吉の軍に降りた。翌年の天正16年(1588年)に東郷氏の東郷重虎は佐土原(現在の宮崎県宮崎市佐土原地域)に移封され、宮之城島津家の島津忠長が新たな東郷の領主となった。
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