斉藤正剛とは? わかりやすく解説

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斉藤正剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 20:19 UTC 版)

斉藤 正剛
Masayoshi Saitō
個人情報
本名 斉藤 正剛
さいとう まさよし
生年月日 (1969-11-05) 1969年11月5日(54歳)
国籍 日本
身長 170cm
体重 76kg
選手情報
期別 66期
脚質 追込
登録地変遷
1990-2012
日本競輪選手会北海道支部
自転車競技成績
獲得メダル
トラックレース
UCIトラックワールドカップクラシックス
1993 コペンハーゲン ケイリン
1995 東京 TSP
最終更新日
2012年11月30日

斉藤 正剛(さいとう まさよし、1969年11月5日 - )は、元競輪選手北海道出身。日本競輪学校第66期卒業。現役時は日本競輪選手会北海道支部所属。

父の斎藤義雄(14期)は元競輪選手で師匠にあたる。また兄の齊藤成良(69期)、弟の齊藤功益(76期)と齊藤由貴(77期)も競輪選手である。

戦績

北海道工業高等学校を経て、第66期生として日本競輪学校に入学。同期生には児玉広志岡部芳幸らがおり、在校競走成績10位(37勝)で卒業すると、1990年8月16日一宮競輪場でデビューし初勝利を挙げた。

1993年UCIトラックワールドカップクラシックス(トラックワールドカップ)・コペンハーゲン大会のケイリン種目で2位となり、1995年のトラックワールドカップ・東京大会のチームスプリントでは横田努稲村成浩と共に走り3位に貢献した。

GIにおける決勝進出歴は、1994年寬仁親王牌前橋競輪場)7着と、2009年競輪祭小倉競輪場)6着の2回。同様にGIIでは、1992年全日本新人王戦を含めると5回あり、うち1994年のふるさとダービー小松島競輪場)では3着、2010年共同通信社杯秋本番奈良競輪場)では2着に入った。

2012年11月松阪競輪場の記念競輪に出走し、最終日の20日に行われた第8R・S級特選で8着となったが、その後S級1班在籍のまま引退の手続きを済ませていたことが明らかになり[1]、同年12月4日に選手登録を削除した。通算成績1823戦314勝。通算優勝回数38。

参考文献

  1. ^ 北の仕事人・斉藤正剛が電撃引退 - スポニチアネックス2012年11月30日付

外部リンク




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