散岐村とは? わかりやすく解説

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散岐村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 23:56 UTC 版)

さぬきそん
散岐村
廃止日 1955年3月28日
廃止理由 新設合併
国英村、河原町(初代)、八上村西郷村散岐村河原町
現在の自治体 鳥取市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
八頭郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 13.3 km2
総人口 2,760
(角川日本地名大辞典 鳥取県「散岐村(近代)」、1955年)
隣接自治体 国英村、八上村、西郷村、大村、佐治村
散岐村役場
所在地 鳥取県八頭郡散岐村大字佐貫字壱歩坂785番1
座標 北緯35度22分38秒 東経134度11分55秒 / 北緯35.37731度 東経134.19872度 / 35.37731; 134.19872座標: 北緯35度22分38秒 東経134度11分55秒 / 北緯35.37731度 東経134.19872度 / 35.37731; 134.19872
特記事項 座標は現在の散岐地区公民館位置
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散岐村(さぬきそん[1][2])は、鳥取県八頭郡にあった自治体である。

概要

現在の鳥取市河原町佐貫・河原町八日市・河原町和奈見・河原町水根・河原町山上・河原町小倉に相当する。千代川左岸、およびその支流宇戸川流域に位置した。

元々は佐貫村と宇戸村が組合役場を設置していたが、これを発展的解消して散岐村となった[3]

散岐および佐貫は「さのき」「さんき」とも呼ばれ、「さぬ」は狭野、「き」は場所を表すとされる。平安時代には八上郡十二郷の1つである散岐郷の名が見え、この地域一帯を郷域としていたとされる[4]

沿革

  • 1917年(大正6年)10月1日 - 佐貫村と宇戸村が合併して散岐村が発足[5]。合併各村の計6大字を編成。役場位置を大字佐貫字岡畑ケ474番地と定める[6]
  • 1923年(大正12年)10月31日 - 役場位置を大字佐貫字壱歩坂785番1に変更[7]
  • 1955年(昭和30年)3月28日 - 国英村、河原町(初代)、八上村西郷村と合併し、改めて河原町(2代)が発足。同日散岐村廃止[8]

行政

歴代村長

氏名 就任年月日 退任年月日 備考
倉持益治 1918年(大正7年)2月 1922年(大正11年)2月
宮内深蔵 1922年(大正11年)2月 1926年(大正15年)2月
田中熊治 1926年(大正15年)3月 1929年(昭和4年)2月
前田常蔵 1929年(昭和4年)2月 1929年(昭和4年)10月
竹内信時 1929年(昭和4年)11月 1931年(昭和6年)4月
前田梅蔵 1931年(昭和6年)4月 1935年(昭和10年)4月
下田茂 1935年(昭和10年)4月 1936年(昭和11年)11月
山本宗平 1936年(昭和11年)12月 1940年(昭和15年)12月
猪口兼治 1940年(昭和15年)12月 1943年(昭和18年)6月
下田虎治 1943年(昭和18年)8月 1944年(昭和19年)4月
中村昇太郎 1944年(昭和19年)5月 1946年(昭和21年)11月
中山孫市 1947年(昭和22年)4月 1951年(昭和26年)3月
下田晴三 1951年(昭和26年)4月 1955年(昭和30年)3月27日
参考文献 - [3]

教育

交通

脚注

関連項目




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