支所 (Außenstelle) および集積所 (Depot)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 09:44 UTC 版)
「全国指導者ローゼンベルク特捜隊」の記事における「支所 (Außenstelle) および集積所 (Depot)」の解説
1943年春、ベルリン中央事務所が爆撃に晒された。同年9月、特に東部から回収された図書類を安全に保管する為の施設としてラーティボーアに支所 (Außenstelle) が設置された。支所長はゲルト・ヴンダーが務めた。支所ではプレス(ドイツ語版)城 (Schloss Pless) などの集積所 (Depot) に図書類を保管し、必要に応じてこれを各地へ輸送した。科学担当特務幕僚部もラーティボーアを活動の拠点としていた。1945年1月、ラーティボーアの施設が放棄される。この際、輸送力の不足から全ての略奪品を運び出す事はできなかった。 その他、アムステルダム、ブリュッセル、ベオグラード、リガ、レヴァル、ドルパット、ミンスク、ゴールキ、スモレンスク、キエフ、チャルコフ、ドニエプロペトロフスク、シンフェロポリ、ホーエンシュヴァンガウなどにも同様の支所が設置されていた。 次のような場所が集積所として使用された。 プレズ城 (Schloss Pless) - シュレージエン チェルニカ城 (Schloss Czernica) - ニーダーシュレージエン ノイシュヴァンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein) - オーバーバイエルン、主要集積所 (Hauptdepot) バンツ修道院(ドイツ語版) (Kloster Banz) - オーバーフランケン、フォン・ベーアの邸宅を兼ねる。 ホテル・アンネンハイム (Hotel Annenheim) - フィラッハ タンツェンベルク修道院(ドイツ語版) - ケルンテン、接収後に高等学院用集積所として転用された。
※この「支所 (Außenstelle) および集積所 (Depot)」の解説は、「全国指導者ローゼンベルク特捜隊」の解説の一部です。
「支所 (Außenstelle) および集積所 (Depot)」を含む「全国指導者ローゼンベルク特捜隊」の記事については、「全国指導者ローゼンベルク特捜隊」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から支所 および集積所を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 支所 および集積所のページへのリンク