抱え芸妓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:20 UTC 版)
艶菊 18歳。山梅楼の娘分で妻吉より先輩。内気な性格なため妻吉がよく庇っていた。その後将校と結婚。耳が遠く話しかけても「ウーウー」としか答えなかったという。 梅吉 当時20歳。播重席の娘義太夫。九郎右衛門町出身。本名は杉本よね。あいによって事件の前年に山梅楼に。東店。あいと明治郎の駆け落ちに手を貸していたと疑われ殺害される。 妻吉 当時17歳。本名は大石よね。1902年(明治35年)に山梅楼の抱え芸妓となり紀の佐席から店を開く。あいとは親しかったため萬次郎の恨みを買う。あん摩が得意で事件の夜も萬次郎にあん摩をしていた。妻吉にとっての母はすえである。 萬吉 本名はれい。29歳。萬次郎の姪。遺書の名宛人の一人。事件後は中川楼に寝泊り。
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