戸来_(辰韓)とは? わかりやすく解説

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戸来 (辰韓)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/03 09:33 UTC 版)

戸来
各種表記
ハングル 호래
漢字 戸来
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戸来(こらい、호래、生没年不詳)は、辰韓で労役していた中国出身の労役集団の頭目。戸来は、もとは漢人であったが、中国のまたはから朝鮮に来たと推測されている[1]

魏志』韓伝によると、後漢桓帝霊帝末期、韓・が強盛となり、楽浪郡の漢人が韓・濊に移住していた[2]。戸来は、仲間1500人とともに採木に従事していたところ、の襲撃を受け、捕虜となった。辰韓ではある地域の首長層の管理下に木材伐採・製炭・運搬がおこなわれ、鉄鉱石採掘・運搬、製鍛・鍛冶生産がおこなわれていた[2]。戸来は、楽浪郡系の漢人の技術を利用した鉄の生産・流通に従事する専業集団の頭目とみられる。

王莽の時代、廉斯鑡が楽浪郡へ降伏する途中、材木の伐採作業を強いられる漢人の捕虜1500人に出会い、彼らを救出する。廉斯は辰韓の一地域と見なされており、廉斯鑡はその支配者とみられる[2]廉斯鑡の働きかけで、漢人を使役していた辰韓の首長は解放の際に賠償として楽浪郡に1万5000人と「弁韓の布」を提出し、廉斯鑡は楽浪郡から衣冠・田宅を賜った[2]

脚注

  1. ^ 甘懐真 (2009年6月). “東北亞古代的移民與王權發展:以樂浪郡成立為中心” (PDF). 成大歷史學報 (国立成功大学) (36號): p. 92. オリジナルの2020年2月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200216221821/http://www.his.ncku.edu.tw/chinese/uploadeds/364.pdf  {{cite news}}: |date=の日付が不正です。 (説明)
  2. ^ a b c d 鈴木靖民 (2004年2月). “文献からみた加耶と倭の鉄”. 国立歴史民俗博物館研究報告 110 (国立歴史民俗博物館): p. 146  {{cite news}}: |date=の日付が不正です。 (説明)

参考文献




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