成尋は佐理の子か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/04 04:05 UTC 版)
元禄時代に書かれた『本朝高僧伝』の記述を鵜呑みにして、いくつかの事典では藤原佐理の子という定義となっている(デジタル大辞泉、大辞林など。コトバンクの 成尋の項目 参照)。しかし佐理は998年に没しており、成尋の生年は1011年である。 大雲寺開祖である真覚の俗名も佐理であり、これとの混同という可能性もあるが、真覚は村上天皇崩御の直後に出家した人物であり、やはり年代的には合わない。
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