愛妻家説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 03:44 UTC 版)
生涯で2回結婚(もう1回は同居)しており、陸英修夫人とは見合いを経て結婚したが、恥ずかしがり屋であったために、見合いの際には酒を飲んでから臨んだ。 陸英修夫人とは仲の睦まじさを演出したが、家庭内では夫人が「青瓦台(大統領官邸)の中の野党」の役割を果たし、政治的な助言も惜しまなかったため、時々夫婦喧嘩をしていたという。だが、終生、陸英修夫人に対してはただの妻以上に尊敬し続けた。 しかし、上述の金鍾泌インタビューなどによると、これは美化された面もあるとみられる。 陸英修は、金鍾泌家族にとても冷たかったと、浮気者だった朴正熙の浮気のために苦労する夫婦げんかの末に顔にあざができたりもしたというエピソードは韓国で有名な話である。 実際、朴正熙は陸英修の死後女色に陥って暗殺される日まで大統領府、安家の宮井洞で、若い女性たちと酒宴を行った。この時中央情報部要員たちが朴正熙採紅使役を分割したりもした。
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