忠重-忠胤流 水野家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 14:39 UTC 版)
水野勝成の弟・水野忠胤を祖とする家。関ヶ原の戦いの論功行賞により三河国内に1万石を与えられ成立する。しかし、慶長14年(1609年)の遠江浜松藩主・松平忠頼を招いた茶会において忠胤家臣と忠頼家臣が口論を起こし仲裁に入った忠頼を忠胤家臣が殺害してしまい、忠胤は切腹を命じられ廃藩となった。 市正忠胤
※この「忠重-忠胤流 水野家」の解説は、「水野氏」の解説の一部です。
「忠重-忠胤流 水野家」を含む「水野氏」の記事については、「水野氏」の概要を参照ください。
- 忠重-忠胤流 水野家のページへのリンク