応声寺 (館林市)とは? わかりやすく解説

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応声寺 (館林市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/26 21:40 UTC 版)

應聲寺
所在地 群馬県館林市西本町2-50
位置 北緯36度15分01.0秒 東経139度31分38.2秒 / 北緯36.250278度 東経139.527278度 / 36.250278; 139.527278座標: 北緯36度15分01.0秒 東経139度31分38.2秒 / 北緯36.250278度 東経139.527278度 / 36.250278; 139.527278
山号 館林山
院号 浄徳院
宗派 時宗
本尊 阿弥陀三尊
創建年 嘉元4年(1306年
開山 他阿真教
文化財 館林城鐘(群馬県指定重要文化財)
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應聲寺(おうしょうじ)は、群馬県館林市西本町にある時宗寺院

歴史

1306年嘉元4年)、他阿真教によって開山された。他阿真教は時宗遊行上人法主)であり、念仏道場として創建したのが当寺の起源である。元々は同市城町に位置していたが、館林藩藩主榊原康政館林城整備工事に伴い移転、延宝年間(1673年 - 1681年)に現在地に移転した[1]

当初の名称は「長福寺」であった。ところが1716年享保元年)、紀州藩藩主だった徳川吉宗が第8代将軍の位に就き、長男の長福丸(後の第9代将軍徳川家重)が将軍世子となった。将軍世子と同名になってしまったため、幕府に憚って「應聲寺」に改称した(避諱[1]

当寺では館林城築城以来、城下町時報を担当していた。当初は太鼓であったが、後にに変更された[1]

文化財

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 館林市史編さん委員会 編『館林市史 別巻 館林の寺社と史料』館林市、2020年、26p
  2. ^ 群馬県内の県指定文化財一覧群馬県、5p

参考文献

  • 館林市史編さん委員会 編『館林市史 別巻 館林の寺社と史料』館林市、2020年



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