徳川準子とは? わかりやすく解説

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徳川準子

読み方とくがわ のりこ

華族。名は於矩。侯爵尾張藩主徳川慶勝の妻、徳川義礼養母丹羽長富娘。植松茂岳・有経に和歌を学ぶ。『貞徳院殿和歌集』がある。明治35年(1902)歿、72才。

徳川準子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/09 10:52 UTC 版)

徳川 準子(とくがわ のりこ、1832年1月11日天保2年12月9日) - 1902年明治35年)10月2日[1])は、江戸時代後期から明治時代の女性、歌人尾張藩第14代藩主・徳川慶勝正室。父は丹羽長富。別名は矩姫(かねひめ)。院号は貞徳院

生涯

二本松藩主・丹羽長富の三女として生まれる。母は側室の松尾氏。19歳のときに尾張藩主・徳川慶勝の正室となる。妹の政姫は、慶勝の実弟で慶勝の隠居謹慎を受けて尾張藩主を継ぐことになる徳川茂徳の正室となった。

植松茂岳と植松有経に和歌を学び、『貞徳院殿和歌集』がある[2]

1902年明治35年)、死去[3]

脚注

  1. ^ 平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.166
  2. ^ 徳川準子(貞徳院矩姫)”. 長良川画廊. 2023年6月2日閲覧。
  3. ^ 尾張名古屋藩主家 尾張徳川氏系譜”. 花筐館<葵の間>. 2023年6月2日閲覧。


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