崇松院とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 崇松院の意味・解説 

崇松院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/09 07:03 UTC 版)

崇松院(すうしょういん、1838年7月15日天保9年5月24日) - 1909年明治42年)2月9日[1])は、江戸時代後期から明治時代の女性。尾張藩第15代藩主・徳川茂徳正室。父は丹羽長富。別名は政姫(まさひめ)。

生涯

二本松藩主・丹羽長富の娘として生まれる。母は側室の五味氏。その後、尾張藩第15代藩主・徳川茂徳の正室となり、1858年安政5年)に長男の松平義端を出産[2]。また姉の矩姫は尾張藩第14代藩主・徳川慶勝の正室である[3]

1909年明治42年)、死去。

脚注

  1. ^ 平成新修旧華族家系大成』下巻(霞会館、1996年)p.164
  2. ^ 御三卿 一橋徳川家系譜”. 花筐館<葵の間>. 2023年6月2日閲覧。
  3. ^ 尾張徳川家の雛まつり”. 徳川美術館. 2023年6月2日閲覧。

 




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  崇松院のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「崇松院」の関連用語

1
32% |||||

崇松院のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



崇松院のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの崇松院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS