徐亨 (アスリート)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 14:26 UTC 版)
徐 亨
Henry Hsu
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生年月日 | 1912年12月6日 |
出生地 | ![]() (現:広州市花都区) |
没年月日 | 2009年2月3日(96歳没) |
死没地 | ![]() |
出身校 | 曁南大学 黄埔軍官学校 |
前職 | アスリート |
所属政党 | ![]() |
称号 | 海軍少将 大英帝国勲章 |
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在任期間 | 1973年2月1日 - 1987年1月31日 |
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在任期間 | 1973年 - 1974年 |
徐 亨(じょ こう、Henry Hsu、1912年〈民国元年〉12月6日 - 2009年〈民国98年〉2月3日)は、中華民国のアスリート、政治家、海軍軍人、実業家。国際オリンピック委員会名誉委員。
経歴
第9回(東京)および第10回極東選手権競技大会(マニラ)に出場。特に1934年の第10回大会では、サッカーで金メダル、バレーボールで銀メダルという成績を残した[1]。
1938年、虎門要塞司令部参謀。少佐として香港の戦いなどに従軍。1942年には戦功から大英帝国勲章を受勲[2]。1978年、少将で退役[1]。
1973年から立法委員、1977年から第11・12期国民党中央委員を務める。1987年、総統府国策顧問。1988年から第12・13・14期国民党中央評議員[1]。
1970年からは国際オリンピック委員会の委員を務め、1973年から1975年まで中華オリンピック委員会主席。中華人民共和国との主権問題に影響を受ける中で、中華民国が国際大会に出場できるよう「チャイニーズタイペイ(中華台北)」というチーム名を考案した[1]。
台北栄民総医院で治療を受けるも、2009年2月3日に死去[1]。96歳没。葬儀には馬英九総統をはじめ、劉兆玄、王金平、紀政らが出席した[3]。
脚注
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