後裔国造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 05:11 UTC 版)
『先代旧事本紀』「国造本紀」では、次の国造が後裔として記載されている。 竺志米多国造志賀高穴穂朝(第13代成務天皇)の御世に息長公同祖の稚沼毛二俣命孫の都紀女加を国造に定める、という。 のちの肥前国三根郡米多郷(佐賀県上峰町一帯)または筑前国夜須郡馬田郷・下坐郡馬田郷周辺(福岡県朝倉市一帯)に推定される。都紀女加は安康天皇(第20代)・雄略天皇(第21代)の従兄弟にあたるため、「志賀高穴穂朝」とは安康天皇(和風諡号は穴穂天皇)を指すとも推測される。なお、『古事記』では若野毛二俣王(稚野毛二派皇子)の子の意富富杼王について「筑紫之末多君」らの祖と記されている。
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