後百済建国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 04:29 UTC 版)
武珍州を手中にした後、当時最高の学識者であるチェ・スンウを配下に加えた。チェ・スンウは、キョンフォンに新羅に滅ぼされた百済を再び建国するように勧める。これを容れたキョンフォンは、勢力の拡大に乗り出す。康州の都督が降伏し、康州を手に入れると、さらに完山州も版図に加えた。キョンフォンの勢力は武珍州・康州・完山州にまで及び、旧百済の領土をほぼ回復した。キョンフォンは領内の巡行を行ったり、完山州に王城を建設したりするなど、徐々に国家体制を構築していく。900年、完山州に遷都し、百済の復興を宣言する。これが、後百済の成立となった。キョンフォンは、呉越、日本、契丹に使節を派遣して、国交を結ぶなど外交にも力を注いだ。
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