延命寺 (板橋区志村)とは? わかりやすく解説

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延命寺 (板橋区志村)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/05 06:06 UTC 版)

延命寺
所在地 東京都板橋区志村1-21-12[1]
位置 北緯35度46分29.0秒 東経139度41分32.0秒 / 北緯35.774722度 東経139.692222度 / 35.774722; 139.692222 (延命寺 (板橋区志村))座標: 北緯35度46分29.0秒 東経139度41分32.0秒 / 北緯35.774722度 東経139.692222度 / 35.774722; 139.692222 (延命寺 (板橋区志村))
山号 見次山[2]
院号 松寿院[2]
宗旨 新義真言宗[2]
宗派 真言宗豊山派
本尊 地蔵菩薩
創建年 大永4年(1524年)頃
開基 見次権兵衛[2]
別称 志村延命寺
札所等 豊島八十八ヶ所霊場22番札所、北豊島三十三ヶ所霊場24番札所
文化財 志村延命寺板碑群(板橋区登録有形文化財)
法人番号 4011405000373
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延命寺(えんめいじ)は、東京都板橋区にある真言宗豊山派寺院。なお、当寺の1.4キロメートル西南西中台に寺号が同一の「延命寺」がある。この寺も真言宗豊山派である。混同を避けるため、当寺は「志村延命寺」とも呼ばれている。

概要

1524年大永4年)頃、見次権兵衛の開基である。志村城落城の際に、見次権兵衛は自分の息子が討ち死にしたことを悲しみ、息子の菩提を弔うために建立した[1]

江戸時代徳川将軍鷹狩のために江戸郊外のこの地を度々訪れており、当寺は「御膳所」(休憩場所)に充てられた[1]

1889年明治22年)、町村制の施行に伴い東京府北豊島郡志村が成立した際に、村役場が当寺に置かれた。

1903年(明治36年)に火災に遭い、鐘楼と山門を残して、全てを焼失してしまった。現在の堂宇は火災後に再建されたものである[3]

かつては「コブ欅」と呼ばれるの大木があった。幹に大きなコブが付いていたのが特徴で、1930年昭和5年)に東京府の天然記念物に指定されていた。しかし、まもなく枯死してしまったため、戦後に指定解除となっている[3]

寺宝等

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 志村延命寺板碑群(追加登録)< 有形文化財(歴史資料)>板橋区教育委員会事務局生涯学習課
  2. ^ a b c d 新編武蔵風土記稿 志村.
  3. ^ a b 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院 (文化財シリーズ第39集)』板橋区教育委員会、1982年、105-109p

参考文献

  • 板橋区教育委員会 編『いたばしの寺院 (文化財シリーズ第39集)』板橋区教育委員会、1982年
  • 馬場憲一 著『板橋区史跡散歩 (東京史跡ガイド19)』学生社、1993年
  • 「志村 延命寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ14豊島郡ノ6、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763977/59 



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