広瀬村_(富山県)とは? わかりやすく解説

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広瀬村 (富山県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/25 06:52 UTC 版)

ひろせむら
広瀬村
廃止日 1952年5月1日
廃止理由 新設合併
西礪波郡福光町、石黒村西太美村広瀬村広瀬館村太美山村東太美村吉江村東礪波郡北山田村山田村 → 西礪波郡福光町
現在の自治体 南砺市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 富山県
西礪波郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 8.45[1] km2.
総人口 1,336[1]
1935年昭和10年)12月[1]
隣接自治体 南蟹谷村、石黒村、福光町、吉江村、広瀬館村
石川県
広瀬村役場
所在地 富山県西礪波郡広瀬村竹内[2]
座標 北緯36度33分10秒 東経136度51分28秒 / 北緯36.55275度 東経136.85772度 / 36.55275; 136.85772 (広瀬村)座標: 北緯36度33分10秒 東経136度51分28秒 / 北緯36.55275度 東経136.85772度 / 36.55275; 136.85772 (広瀬村)
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広瀬村(ひろせむら)は、かつて富山県西礪波郡にあった

村名は天正以来の郷名・広瀬郷からとられた[2]

沿革

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、礪波郡竹内村、天神村、小山村、山本村、坂本村及び西開発村の区域をもって、礪波郡広瀬村が発足する。
  • 1896年(明治29年)3月29日 - 郡制の施行のため、礪波郡が分割して、西礪波郡が発足により、西礪波郡に所属となる。
  • 1952年昭和27年)5月1日 - 西礪波郡福光町、石黒村、西太美村、広瀬村、広瀬館村、太美山村、東太美村、吉江村、東礪波郡北山田村及び山田村が合併して、西礪波郡福光町が発足する。

経済

農業

『大日本篤農家名鑑』によれば広瀬村の篤農家は、「笠松清右衛門、杉本善三郎、成瀬久三、堀又一郎」などである[3]

医療

医師
  • 中川甚六[4]
  • 中川良忠[4]

脚注

  1. ^ a b c 『福光町史 下巻』(1971年8月20日、福光町発行)461頁。
  2. ^ a b 角川日本地名大辞典 16 富山県』(1979年10月8日、角川書店発行)738ページ
  3. ^ 『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年、504頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月18日閲覧。
  4. ^ a b 『大日本医師名簿』高崎雅雄 編、光明社、1925年、245頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月18日閲覧。

参考文献

  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。

関連項目




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