広本フサとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 広本フサの意味・解説 

広本フサ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/21 02:33 UTC 版)

広本 フサ(ひろもと フサ、1886年明治19年)- 1981年昭和56年)9月26日)は、日本平和運動家である[1][2]

経歴・人物

広島市に生まれ1945年(昭和20年)8月6日広島原爆により[1][2]、爆心地から約2.5km離れた千代田町にて夫と子供3人と共に被爆する[1][2]。その後は子供3人は投下直後に原爆症により死去し[2]、夫は投下から19年経った1964年(昭和39年)に同じく原爆症により死去した[2]

これによってフサは以後「原子爆弾が投下された8月6日(広島)、8月9日長崎)を国民の祝日にすべきだ」と直訴し[1][2]、1974年(昭和49年)から1981年(昭和56年)に死去するまで広島平和記念式典及び長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に出席した当時の内閣総理大臣中曽根康弘等に直訴し続けた[1][2]

脚注

  1. ^ a b c d e 広本フサ”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社). 2023年8月20日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 広本 フサ”. 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ). 2023年8月20日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  広本フサのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

広本フサのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



広本フサのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの広本フサ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS