幾那(きな)の木の種子をもちかえる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 09:06 UTC 版)
「愛久澤直哉」の記事における「幾那(きな)の木の種子をもちかえる」の解説
1900年(明治33年)8月25日付の台湾日日新報の記事によると、「●愛久澤直哉氏の印度行」と題して「同氏は此度香港、シンガポール、ジャワ、シャム、印度各地方の視察を命ぜられ諸種の準備を要するため本日発の便船にてひとまず上京し、それより各地巡視の途につくべしという。」とあり、その直後の記事には「●鈴木製薬所技師」と題して「同氏は愛久澤法学博士とともに各地方巡回のため本日上京すべしと」とある。翌年5月横浜を出発し、上述各地を巡視し、ジャワより「幾那の木」の種子をもちかえり、8月に台湾に帰り着いた。「幾那の木」からは当時マラリアの唯一の特効薬であったキニーネの原料となったからである。
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