平館氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 06:05 UTC 版)
一戸五郎光恒の後胤と称し、晴政のとき岩手郡平館村田頭村平笠村を領知し、平館城に居て、依て氏とする。一戸政連を殺害した、実弟の平舘政包は信濃守とも隠岐守とも称される郡内では屈指の勢力下であったが、天正9年(1581年)9月、平舘氏滅亡後に信直が三戸南部氏を相続するに至って浪人したのは、信直の三戸宗家相続に反対であったためといわれている。 信濃守政包の二男平館兵庫政敏は、南部信直も出仕した御足軽頭を勤めたが後に収録され、三男義豊の子八大輔義勝は、平館氏を称し花巻に出仕した。
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