平親清娘の憧憬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/29 06:20 UTC 版)
極楽寺流北条氏の被官で六波羅探題の評定衆を30年の長きにわたって務めた佐分親清(平親清)は、また歌人としてもその名を知られた武士だった。その親清の娘がある日のこと、あの有名な「己が音の少将」に是非ともお目にかかりたいと、わざわざ法性寺跡に少将を訪ねてきた。しかし障子越しに応待した少将は、せっかくここまで訪ねにきてくださり、和歌の道にもご熱心なようなのでお会いしてもよいのですが、「己が音」の印象とは違った年老いた姿をお見せして幻滅させてしまってもいけませんし、と逡巡して結局対面は叶わなかったという。この逸話は、江戸時代中期の俳人・斯波園女が享保3年(1718年)に剃髪する際に老境の思いを綴った一文の中で引用されている。
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