平致光とは? わかりやすく解説

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平致光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/25 05:04 UTC 版)

 
平致光
時代 平安時代中期
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従五位下・右兵衛尉、大宰権大監
氏族 桓武平氏良兼流(坂東平氏
父母 父:平公雅
兄弟 致秋、致成、致頼致光、致遠、時通 [1]平忠常正室、有道維広室
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平 致光(たいら の むねみつ、生没年不詳)は、平安時代中期武将平公雅の四男。

経歴

日本紀略寛和2年(986年)6月19日条によれば、「滝口武者平致光」が野宮にいた斎宮済子女王と密通事件を起こしたという。

「江見左織氏所蔵文書」には、正暦4年(993年)に従五位下・大宰権大監であったという文書が残っている[1]

長徳2年(996年)2月5日の長徳の変の際には、致光とその兄弟が伊周の郎党として、検非違使に家宅に踏み込まれ逃亡している[2][3]

藤原隆家に従軍して、刀伊の入寇で活躍した平致行同一人物という説が存在する[4]

今昔物語』には、壱岐守宗行の郎等が主人の宗行の怒りにふれ、新羅に逃亡し、虎を退治したが、妻子恋しさのあまり筑紫に帰り、宗行は勘当した郎等の「いみじき」行為により、これを許したという話があるが、ここに登場する「壱岐守宗行」が、平致行と同一人物であるとする説が存在する。「宗行」と「致行」の近似性を指摘する立場もある[5]

脚注

  1. ^ a b 野口実『中世東国武士の研究』(戎光祥出版、2020年)
  2. ^ 小右記』長徳2年(996年)2月5日条
  3. ^ 百錬抄』長徳2年(996年)2月5日条
  4. ^ 髙橋昌明『伊勢平氏の興隆-清盛以前』(文理閣、2004年)p19
  5. ^ 森公章「刀伊の入寇と西国武者の展開」(東洋大学文学部史学科研究室編『東洋大学文学部紀要 史学科篇』 34号、2008年)



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