幕末の南北正閏論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)
南北朝正閏論は幕末に盛んになった。かつて徳川光圀が南北朝の正閏をただしたとき諸学者の様々な議論を呼んだ。ある者は南朝正統論を唱え、ある者は北朝を擁護し、ある者は南北両朝ともに正統とした。特に幕末に及んで議論が盛り上がった。山県太華は天保10年に『国史纂論』を公にし、その中で南北朝の正閏を論じ、三種の神器の所在によって皇統の正閏が定まり、その間に疑義を許さないのが国体の根本義であると説いた。速水行道は文久元年『皇統正閏論』の序文において天位の唯一無二であることが国体の本然であるとして南朝の正統を論じた。
※この「幕末の南北正閏論」の解説は、「国体」の解説の一部です。
「幕末の南北正閏論」を含む「国体」の記事については、「国体」の概要を参照ください。
- 幕末の南北正閏論のページへのリンク