布下豊明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/20 08:30 UTC 版)
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時代 | 安土桃山時代、江戸時代初期 |
生誕 | 天文11年(1542年) |
死没 | 寛永元年(1624年) |
別名 | 伊勢 |
戒名 | 玄照 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 蘆田信蕃、徳川家康、秀忠 |
氏族 | 滋野氏流 |
父母 | 布下豊正 |
子 | 豊友 |
布下 豊明(ぬのした とよあきら、天文11年(1542年) - 寛永元年(1624年))は、戦国時代から江戸時代初期の武将。
人物
武田信玄・勝頼に仕えた布下豊正の子。同じく武田配下の依田信蕃の武将だった。武田家滅亡後は徳川家康に属する。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いにおいては徳川秀忠の別働隊に属し、本多正信の指揮下に置かれて上田合戦に参加。慶長19年(1614年)大坂冬の陣、翌年の大坂夏の陣にも嫡子の豊友とともに出陣している。
家督は豊友が継承。徳川忠長に連座して一時牢人したが、再度幕府に出仕した。子孫は御家人となった。
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』
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