左傾化と低迷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 16:59 UTC 版)
しかし無産運動の分裂は、産労にも大きな影響を及ぼすことになった。1925年、産労の上部組織ともいえる総同盟から左派(共産党系)の評議会が分裂(総同盟の第1次分裂)した後、産労は党派を超えた運営に努め、1926年に合法的な統一無産政党として結党された労農党の調査部と協力関係を結んだ。しかし同年、労農党から社民系が分裂した後、産労は福本イズムの影響もあって次第に左傾化していった。所内で共産党関係者が力を得たことで産労本来の業務である調査活動もなおざりになり、1927年には機関誌『産労時報』を廃刊、共産党外郭機関の様相を呈した。そして1928年の三・一五事件(1928年)による弾圧で産労は打撃を受け、いったん業務停止に至ったのである。
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