島田喜蔵とは? わかりやすく解説

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島田喜蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/14 09:54 UTC 版)

島田 喜蔵(しまだ きぞう、1856年安政3年)3月15日 - 1948年(昭和23年)3月27日、正字では嶋田)は日本カトリック教会司祭洗礼名は「トマス」。キリスト教禁教令下の江戸時代五島列島隠れキリシタンとして生まれ、司祭叙階後は九州各地のカトリック教会で布教にあたった。


注釈

  1. ^ 大浦天主堂のポアリエ神父による。『人物による日本カトリック教会史』池田敏雄著、中央出版社、1968年、p.170
  2. ^ 長崎本原の高木仙右衛門宅に身を寄せた。高木宅には聖ヨゼフ堂なる秘密礼拝堂があり、大浦天主堂ローカニュ神父がときどき密かに訪れてミサを挙げていた。『人物による日本カトリック教会史』池田敏雄著、中央出版社、1968年、p.170
  3. ^ 香港の神学校ではチョンマゲを切り、かんかん帽をかぶり、中国人に変装した。『人物による日本カトリック教会史』池田敏雄著、中央出版社、1968年、p.171
  4. ^ 江袋は上五島。その後、下五島の水の浦の天主堂、中五島の大平天主堂でもミサを挙げた。『隠れキリシタンから司祭に―トマス島田喜蔵神父の生涯』中田秀和著、中央出版社、1981年、p.86
  5. ^ 鹿児島における布教開始時期を評して、池田敏雄は「西南戦争後の混乱状態にあった」と説く。『人物による日本カトリック教会史』池田敏雄著、中央出版社、1968年、p.170
  6. ^ プロテスタント信者や漢学者と教義に関する問答を行った。また、浪人たちが教会におしかけてくることがあったが島田は怯まなかった。『隠れキリシタンから司祭に―トマス島田喜蔵神父の生涯』中田秀和著、中央出版社、1981年、pp.111-117、pp.120-123
  7. ^ 1891年(明治24年)、鹿児島市山下町(現在の照国町)の槍術指南梅田九右衛門屋敷跡を教会用地として購入。のちに聖フランシスコ・ザベリオ聖堂敷地、さらに現在の鹿児島カテドラルザビエル教会敷地となる。『聖堂再生』松山ちあき編、NPO法人文化財保存工学研究室、2007年、p.27
  8. ^ 高島の教会を本拠に、神の島、伊王島、蔭の尾等を巡回。『隠れキリシタンから司祭に―トマス島田喜蔵神父の生涯』中田秀和著、中央出版社、1981年、p.136
  9. ^ 安政時代から第二次世界大戦後まで生き延びて「百歳神父」とも呼ばれた。『人物による日本カトリック教会史』池田敏雄著、中央出版社、1968年、p.170

出典

  1. ^ 『人物による日本カトリック教会史』池田敏雄著、中央出版社、1968年、p.170
  2. ^ 『人物による日本カトリック教会史』池田敏雄著、中央出版社、1968年、p.171
  3. ^ 島田神父年表:『隠れキリシタンから司祭に―トマス島田喜蔵神父の生涯』中田秀和著、中央出版社、1981年、p.164


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