島崎藤村との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 07:07 UTC 版)
白檮山氏は、所有していた地所の近くに信越本線小諸駅が開業して、資産家となり、没落していた小諸の名門士族と通婚した。 同氏は、不動産賃貸業や、小料理店(店名は福住)経営などに手を染めた。 この賃借人の一人に島崎藤村がいて、大家(賃貸人・白檮山虎治)と交流を持ったため、藤村研究において、白檮山氏が登場することになる。 1904年(明治37年)1月13日に藤村は「破戒」の構想に着手したといわれるが、白檮山いそぢ(虎治の長女・春利の孫女)と、三村きのを同行して、雪の飯山真宗寺(破戒の蓮華寺)を訪れた。翌日対岸に出て、そり遊びをした。 また藤村の著作「千曲川のスケッチ」に、白檮山いそぢが、「I」さんとして、アルファベットで登場する。
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