岩男俊貞とは? わかりやすく解説

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岩男俊貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/14 17:03 UTC 版)

岩男 俊貞(いわお としさだ、1836天保7)年 - 1883明治16)年)は肥後藩士、大蔵官僚、県会議員。

略歴

肥後熊本藩士岩男伝之允の子[1]藩校時習館に学ぶ。横井小楠の門弟。勝海舟神戸海軍塾に入塾。入塾に際して坂本龍馬と熊本から神戸まで同行した。

1865年慶応元年)坂本龍馬と横井小楠の沼山津会談を手紙で調整した。

1869年(明治2年)横井小楠暗殺の後、京都から遺髪を持ち帰り、熊本の光輪寺で小楠の門弟たちと葬儀を行った。小楠遺髪は四時軒近くの小楠公園内に埋葬されている。

1872年(明治5年)に実弟岩男三郎とともにアメリカへ留学[2]。帰国後に大蔵省主計局監督正、酒田県大参事熊本県議会副議長を歴任した。[3]

脚注

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  1. ^ 川口恭子編「細川家家臣略系譜」熊本藩政史研究会、1983年。
  2. ^ 留学先は不明だが、1872年4月から10月の間にコネチカット州ニューブリテンからニューヨークへと転居(北垣宗治「BOSTON PUBLIC LIBRARY 所蔵の日本人名簿(1871-1876)」『英学史研究』1999巻31号、日本英学史学会、1998年)。
  3. ^ 横井小楠記念館資料(熊本市沼山津)



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