岩利村とは? わかりやすく解説

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岩利村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/08 05:25 UTC 版)

いわりむら
岩利村
廃止日 1897年4月1日
廃止理由 合併
安食村岩利村佐野村彦坂村石谷村方県村
現在の自治体 岐阜市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 岐阜県
稲葉郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 416
(町村略誌、1881年)
岩利村役場
所在地 岐阜県稲葉郡岩利村
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岩利村(いわりむら)は、かつて岐阜県稲葉郡に存在したである。

現在の岐阜市岩利に該当する[1]

発足時は方県郡の村であったが、郡の合併により稲葉郡の村となっている。

地理

伊自良川が南西流する。彦坂村の北に位置し、集落は本郷のほか東洞、山後、高部に散在する。中世にはその一帯に石利庄が成立していた[2]

歴史

  • 1616年(元和2年) - 村高領知改帳に見え、819石で奥平忠隆加納藩)領[2]
  • 1640年(寛永17年) - 佐野村との村境が西は堀切、東は塚穴切だったが、岩利村は境をかすめて松苗を植え、山を掘り崩したとして佐野村に訴えられる[2]
  • 正保期 - 田736石、畑76石、紙木高8斗、山年貢5石で幕府領[3]。石高は819.048石[1]
  • 1705年(宝永2年) - 高富藩領となる[2]
  • 1834年(天保5年) - 石高837.712石[4]
  • 1876年(明治9年) - 彦坂村、佐野村と合わせて大区7、小区14[1]
  • 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制により岩利村発足。
  • 1897年(明治30年)4月1日[5] - 方県郡が分割され、稲葉郡、山県郡本巣郡の一部になる。当村は稲葉郡の村となる。
  • 1897年(明治30年)4月1日 - 安食村石谷村、佐野村、彦坂村と合併し、方県村が発足。同日岩利村は廃止。

神社

  • 八幡宮
  • 天神宮
  • 若宮八幡宮二
  • 稲荷宮[2]

  • 慈眼寺
  • 安楽寺
  • 薬師庵(現薬師寺)
  • 成功院
  • 長泉寺
  • 仙桃院
  • 正蓮寺[2]

脚注

  1. ^ a b c 下中直人『日本歴史地名大系21巻 岐阜県の地名 (オンデマンド版)』平凡社、2007年7月31日、1084頁。ISBN 978-4-582-91036-0 
  2. ^ a b c d e f 下中直人『日本歴史地名大系21巻 岐阜県の地名 (オンデマンド版)』平凡社、2007年7月31日、524-525頁。 ISBN 978-4-582-91036-0 
  3. ^ 正保郷帳
  4. ^ 天保郷帳
  5. ^ 揖斐郡志』、揖斐郡教育会、1924年12月、292-295頁

参考文献

関連項目




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