岩内王子
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「九十九王子 (御坊市)」の記事における「岩内王子」の解説
岩内王子(いわうちおうじ)は九海女王子から紀勢本線の線路と日高川を越えた、日高川左岸にある。 『中右記』天仁2年(1109年)10月19日条に石内荘司宅に宿をとったとあるが参詣の記録はなく、「熊野道之間愚記」建仁元年(1201年)10月10日条に「渡河いわうち王子」、『民経記』承元4年(1210年)4月26日条に石内王子参詣と記される他、近世には也久志波(やくしば)王子(『紀伊続風土記』)・焼芝(やけしば)王子(『九十九王子記』、享保15年〈1730年〉)と呼ばれていた。 『中右記』には石内から塩屋までの道が日高川の増水で通行不能になったとあり、他にも『紀伊続風土記』に「此地河流変遷し岩内王子の社地滅没して後世小社を此に建しといふ」と述べられているように、旧社地はしばしば日高川の氾濫による水害を受けていた。1908年(明治41年)、熊野神社(御坊市熊野)に合祀され、青年会館の前に焼芝王子神社旧跡碑が遺されている。 御坊市岩内字田畑515
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