岡本経一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/19 05:00 UTC 版)
岡本 経一(おかもと きょういち、1909年3月25日[1] - 2010年11月15日)は、日本の出版人。岡本綺堂の養子。青蛙堂書房創業者。
人物
13歳で上京[1]。1924年に額田六福の紹介で作家・岡本綺堂の書生となり、専検(専門学校入学資格検定試験)をとって法政大学の夜学に通う[1]。1930年、法政大学高等師範科(国漢)卒業[1]。
就職できず、綺堂監修の戯曲誌『舞台』の編集手伝いののち、三上於菟吉と改造社の編集者・塩谷晴如が興した出版社「サイレン社」に入り、三上の妻である長谷川時雨の編集担当として時雨の『草魚』や『近代美人伝』を手掛けた[3]。同社は三上が経営から退いたことから経営難となり、塩谷が大衆本出版に手を出したが失敗、健一はその後始末に追われた[4]。
1937年に健一の困窮を見かねた綺堂が健一を養子とした[1][4]。1939年に綺堂が亡くなり、健一は大東出版社に勤め、宗教以外の一般書を担当した[4]。
戦後、青蛙堂書房を創業、社名は綺堂の作品『青蛙堂鬼談』に由来するが、間もなく倒産。1955年に青蛙房として再建し、養父岡本綺堂や三田村鳶魚らの著作を刊行。他にも6代目三遊亭圓生の自伝『寄席育ち』や宇野信夫等の著作も出版している。江戸時代の文化関連の出版により、青蛙房名義で1967年度の菊池寛賞を受賞している[5]。
『岡本綺堂日記』(1987年)等、養父岡本綺堂に関する資料の編纂や出版などを手掛け、文庫版などで綺堂作品の解説も多く行っている(『「半七捕物帳」解説』に所収。2009年に100歳記念で刊行)。
1990年に引退[1]。社業を子息・岡本修一(1948-2018)[6]に譲る。
2010年11月15日、急性心筋梗塞により死去[7]。享年102。
没後
故郷勝央町の「勝央美術文学館」に「青蛙房、岡本経一の仕事」コーナーがある。青蛙房は2018年9月の2代目死去により2019年末をもって閉業。在庫はすべて八木書店が買い取った[8]。
著書
賞歴
脚註
- ^ a b c d e f g 日外アソシエーツ現代人物情報より
- ^ 日外アソシエーツ現代人物情報より
- ^ 古本夜話437 『女人芸術』と日本文林社『長谷川時雨全集』小田光雄、出版・読書メモランダム、2014-11-24
- ^ a b c 古本夜話430 岡本経一『私のあとがき帖』と柴田宵曲小田光雄、出版・読書メモランダム、2014-10-22
- ^ 京須偕充 (2018年10月16日). “第九十三回 「ある出版社の黄昏」”. otonano. 落語みちの駅. ソニーミュージックレーベルズ. 2025年2月1日閲覧。
- ^ 岡本千秋 (2019年11月26日). “青蛙房ニュース 2019年11月26日 ペンの日”. 2020年5月12日閲覧。
- ^ 訃報:岡本経一さん 毎日新聞 2010年11月17日閲覧
- ^ 青蛙房と八木書店(菊池壮一)/文化通信8月12日付
外部リンク
- 岡本経一のページへのリンク