岡崎国臣
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岡崎 国臣(おかざき くにおみ、1874年(明治7年)6月12日[1] – 1936年(昭和11年)5月22日[2])は、日本の農商務官僚、衆議院書記官長。東京株式取引所理事長。
経歴
島根県簸川郡久木村(現在の出雲市)に勝部又一郎の二男として生まれ、衆議院議員岡崎運兵衛の養子となった[1][3]。1900年(明治33年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、同年に高等文官試験に合格した[1]。農商務省山林局事務官、群馬県事務官、福井県事務官、農商務省参事官、同書記官、大阪鉱務署長、農商務省大臣官房文書課長などを歴任し[1]、1915年(大正4年)に衆議院書記官長に就任した[3]。
退官後は東京株式取引所理事・理事長を務めた[4]。その他に第三国立銀行取締役、大社宮島鉄道取締役、松陽新報社社主などを務めた[4]。
家族
- 実父・勝部又一郎
- 養父・岡崎運兵衛
- 実弟・勝部本右衛門9代(1894-) ‐ 島根県多額納税者、松陽新報社副社長、地主。勝部又一郎の四男・義彰として生まれ、地元の豪農・勝部本右衛門家の養子となり、家督を継いで本右衛門を襲名[5]。中央大学経済科卒業後、運兵衛が創業した松陽新報社入社[5]。岳父に熱田神宮宮司・野田菅麿[5]。なお、養家の勝部家は松江藩から銅山経営を任されていた農家で、先代の本右衛門8代(景浜、1823-1881) と先々代の本右衛門7代(栄忠、1796-1886)は銅山方役人の松江藩士・高木権八とともに、廃城となった松江城を買い取ったことで知られる[6]。
- 妻・ヨリ ‐ 高橋隆一の妹[7]
- 長女・佐佳枝 ‐ 三好愛吉の長男・忠一の妻[7]
- 二女・文枝 ‐ 矢田恒久の妻[7]
- 三女・玉枝 ‐ 立作太郎の長男・立正嘉の妻
- 長男・岡崎正臣 ‐ 三菱重工業・横浜船渠技師[7]。妻の光枝は鈴木三郎助の孫、娘婿に大倉和親の孫・渡辺武雄[8]
- 四女・幸枝 ‐ 佐々木藤太郎の二男・和の妻[7]。夫の兄弟に佐々木直、佐々木元。
栄典
脚注
- ^ a b c d 人事興信録 第4版 1915.
- ^ 『昭和物故人名録』 日外アソシエーツ、1983年。
- ^ a b 衆議院要覧 1915.
- ^ a b 人事興信録 第10版 1934.
- ^ a b c 勝部本右衛門『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
- ^ 松江城天守を解体から救った 高城権八(松江市ゆかり) 勝部本右衛門栄忠 景浜親子(出雲市生まれ)山陰中央新報デジタル、2021/3/24
- ^ a b c d e 人事興信録 第13版(昭和16年) 上、岡崎正臣の項
- ^ 『日本の地方財閥30家』菊地浩之、平凡社、2012、p196
- ^ 『官報』第1782号「叙任及辞令」1918年7月11日。
参考文献
- 『衆議院要覧下巻 大正四年十一月』衆議院事務局、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 上巻』人事興信所、1934年。
公職 | ||
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先代 林田亀太郎 |
![]() 1915年 - 1917年 |
次代 寺田栄 |
ビジネス | ||
先代 郷誠之助 |
東京株式取引所理事長 1924年 - 1933年 |
次代 梶原仲治 |
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