山田謙治とは? わかりやすく解説

山田謙治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 05:35 UTC 版)

山田謙治
KENJI Yamada
横浜ビー・コルセアーズ AC
役職 アシスタントコーチ
兼務 アシスタントGM
基本情報
愛称 ガチャピン、KG、ケンジ
国籍 日本
生年月日 (1983-07-28) 1983年7月28日(41歳)
出身地 神奈川県横浜市
身長(現役時) 180cm (5 ft 11 in)
体重(現役時) 78kg (172 lb)
キャリア情報
高校 秋田県立能代工業高等学校
大学 法政大学
ドラフト 2011年 1位
ポジション PG
永久欠番 13
経歴
選手時代:
2006-2007 大塚商会アルファーズ
2007-2011 栃木ブレックス
リンク栃木ブレックス
2011-2018 横浜ビー・コルセアーズ
2018-2019 広島ドラゴンフライズ
コーチ時代:
2019- 横浜ビー・コルセアーズ
選手情報  B.LEAGUE.jp

山田 謙治(やまだ けんじ、1983年7月28日 - )は、神奈川県横浜市出身のバスケットボール指導者である。

人物・来歴

姉の影響でミニバスケを始める[1]南希望が丘中学校を経て[1]、名門能代工業高校インターハイ2連覇、3年時には主将としてウィンターカップとの2冠を獲得。

法政大学でも4年で関東インカレ優勝に貢献し、最優秀選手賞を受賞。

卒業後、大塚商会アルファーズに入団。新人王に輝く。

2007年、大塚商会の後継チームである栃木ブレックスに移籍。スティール王を獲得しJBL2優勝に貢献。

2008年、JBL昇格とともにかつての恩師である加藤三彦がヘッドコーチに就任。2009-10シーズンでJBL優勝。

2011年、bjリーグドラフト全体1位で横浜ビー・コルセアーズに指名され入団。2012-13シーズンで優勝を果たし、JBL・bjのいずれも優勝も経験したことになる。 2014-15シーズンよりキャプテンを務める。

2018年6月 広島ドラゴンフライズへの移籍が発表された[2]

2019年7月3日 現役引退を発表[3] 2019年7月4日横浜ビー・コルセアーズチーム編成・強化担当兼アシスタントコーチに就任[4]

経歴

  • 能代工業高 - 法政大学 - 大塚商会(2006年〜2007年) - 栃木ブレックス/リンク栃木ブレックス(2007年〜2011年) - 横浜ビー・コルセアーズ(2011年~2018年) - 広島ドラゴンフライズ(2018~2019)

ギャラリー

脚注

  1. ^ a b 山田 謙治さん”. タウンニュース (2012年4月19日). 2012年7月1日閲覧。
  2. ^ 山田謙治選手 契約合意(新規)のお知らせ| 広島ドラゴンフライズ 2018年06月27日リリース”. 広島ドラゴンフライズ. 2018年6月27日閲覧。
  3. ^ 山田謙治選手現役引退のお知らせ| 広島ドラゴンフライズ 2019年07月3日リリース”. 広島ドラゴンフライズ. 2019年7月3日閲覧。
  4. ^ https://b-corsairs.com/news/team_20190704_1/| 広島ドラゴンフライズ 2018年07月4日リリース”. 横浜ビー・コルセアーズ. 2018年7月4日閲覧。

関連項目





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