尚温王時代以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/16 06:24 UTC 版)
尚温王が草せしめた『国学訓飭士子諭』において、官生候補者に学問を修めて国に益する者は身分に拘わらず国政に重用する旨の宣言がなされ、1800年(嘉慶5年)に尚温王の御冠船(おかんせん)が来着すると国学奉行が設けられ、翌6年2月には王が親から「海邦養秀」の4字を大書して琉球の今後の教育に対する理想を掲げた。同年10月に国学が落成すると、以後琉球処分に至るまで、王立学問所として久米村に代わる琉球王国の教育を指導する場となった。
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