小橋勝之助とは? わかりやすく解説

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小橋勝之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/12 00:07 UTC 版)

小橋 勝之助(こばし かつのすけ、1863年4月12日文久3年2月25日〉 - 1893年3月12日)は、明治時代の社会事業家[1][2]。日本で最も古い児童施設の一つである博愛社(現・社会福祉法人博愛社)を創設し、小野田鉄弥、弟・小橋実之助、林歌子らと孤児の養育に尽力した[1][3][4]

人物・経歴

1863年(文久3年1月25日)、播磨(現・兵庫県赤穂郡瓜生に庄屋(地主)の小橋亀次郎の長男として生まれる[1][2]

竜野中学に入学し、儒学者の矢野真吾に学ぶ。神戸医学校予科(現・神戸大学医学部)を卒業後に上京し、高瀬真郷の心学や感化事業に影響を受ける[1][2]

1887年(明治20年)、東京での修学中に結核にかかり、英国の実践者J.ミューラーとの出会いをきっかけに洗礼を受けて聖公会の信徒となり[2]チャニング・ウィリアムズ主教(立教大学創設者)から薫陶を受けた[5]日本聖公会の東京神田基督教会で弟・小橋実之助、林歌子らと活動する[3]

1889年(明治22年)に帰郷すると、1890年(明治23年)に兵庫県矢野村(現・相生市)で、貧しい家庭の子供たちを育てる施設として『博愛社』を、小野田鉄弥、弟・実之助、沢田寸二、前田英哲らとともに創設し、孤児の養育に尽力する[1][2][4][6][7]。そのほか、伝道活動も精力的に行った[1]。また、勝之助は石井十次と親しい間柄となり、岡山孤児院と連携し、将来の事業として北海道に土地を求める意向を示した[7]

翌年の濃尾地震の際には、震災孤児収容所を開設するが、結核が再発[2]

林歌子と弟に博愛社を託して、1893年(明治26年)3月12日に死去[1][2]

脚注

  1. ^ a b c d e f g 朝日新聞出版「朝日日本歴史人物事典」 『小橋勝之助』 コトバンク
  2. ^ a b c d e f g 講談社「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」 『小橋勝之助』 コトバンク
  3. ^ a b わが町人物誌『林 歌子(三)』 みなトコ,みなとQ,2014年2月6日
  4. ^ a b 『理事長あいさつ』 博愛社のご案内,社会福祉法人博愛社
  5. ^ 『ウィリアムズ主教に学ぶ ―BSAセミナーに85人―』 BSA NEWS,167号(通算338号),一般社団法人日本聖徒アンデレ同胞会,2019年7月29日
  6. ^ 鈴木範久「立教大学校とカレッジ教育」『立教学院史研究』第5号、立教大学、2007年、2-16頁、doi:10.14992/00015286ISSN 1884-1848NAID 110008682386 
  7. ^ a b 室田 保夫「林歌子の渡米(1905年~06年)をめぐって」『関西学院大学社会学部紀要』第94号、関西学院大学社会学部・社会学研究科、2003年3月、61-74頁、 ISSN 04529456 



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