小樽妙見市場
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小樽妙見市場 |
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店舗外観
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地図 | |
店舗概要 | |
所在地 | 〒047-0024 北海道小樽市花園2丁目11-1 |
座標 | 北緯43度11分33.591秒 東経140度59分42.30秒 / 北緯43.19266417度 東経140.9950833度座標: 北緯43度11分33.591秒 東経140度59分42.30秒 / 北緯43.19266417度 東経140.9950833度 |
開業日 | 1964年 |
閉業日 | 2020年3月31日 |
施設管理者 | 小樽妙見市場商業協同組合 |
営業時間 | 10:00 - 18:00 |
前身 | 妙見川市場 |
最寄駅 | 小樽駅 |
小樽妙見市場(おたるみょうけんいちば)は、北海道小樽市花園にあった市場。1964年(昭和39年)に開業した。小樽最古の市場である手宮市場(1917年開店[1]、2018年3月に閉店[2])や、戦中をルーツとする小樽中央市場や小樽三角市場と比べると、比較的新しい市場である[1]。地域の住民たちに親しまれ、観光客にも人気を博していたが[1]、大型店との競合、店の経営者の高齢化などにより市場内の店舗の廃業が相次ぎ、建物の老朽化を理由として 、2020年3月に廃業した。
沿革
戦後間もない1946年(昭和21年)、樺太や中国からの引揚者たちが、小樽市内を流れる妙見川[5]下流の河口付近に開いた露店が始まりである[6][7]。当時は「妙見川市場」と呼ばれ[8]、川の脇に掘っ建て小屋を連ねて建てられていた[9]。
1950年には、小樽市中心部の道路拡幅を目的にした中心都市再開発により、国道をはさんだ約300メートル上流の地点に移転した[1]。この時点で170の店舗があり、全店舗を収容可能な場所が川の上しかなかったために、川の上にバラックの市場が造られた[9][10]。移転後の店舗棟内は、当時は「スーパーより品物が豊富」といわれた。この建物が1962年に、台風に伴う洪水で流された後、1964年に、小樽市営市場「小樽妙見市場」として再建された[7][10]。
鮮魚をはじめ、青果、惣菜など、さまざまな物が揃う市場であり、地元の住民の生活には不可欠な存在であった[6][10]。1975年頃までは、小樽で捕れた鮮魚を岩見沢や滝川など空知方面に行商する「ガンガン部隊」の仕入れ先としても活用された[1]。料理方法を教えるなど、何気ない会話ができることも魅力の一つであった[6]。1990年代には、旅行ガイドに「人情味ある雰囲気を味わえる」と紹介され、観光客にも人気を博した[1]。
板付き蒲鉾にも似た市場の建物も特徴的であり[11]、その建物が川の上に建てられていることも全国的に見て珍しい特徴であった[10][11]。イラストレーターの今村敏明も、小樽を訪れて初めて妙見市場を目にして、建物の形に驚き、その建物が川の上にあると知って2度驚いたという[12]。
著名人では、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝とリタの夫妻が、三角市場、入船市場、中央市場と共に、食材の仕入れのためにしばしば訪れていたという[13]。西洋史学者の阿部謹也も、1960年代半ばから10年以上にわたって小樽に在職していた頃に、妻と共に妙見市場へ、新鮮な食材を求めに行った思い出を語っている[14]。
1993年に市場横の歩道橋の袂に設置された小便小僧「妙見小僧」も、女子中高生や観光客のカメラに納まる人気ぶりであった[15]。小樽出身の元郵政大臣・箕輪登により寄贈されたものである[16]。草花が茂る奥の目立たない場所にあったが、「かわいい」と声をあげる人や、おにぎりを供える高齢女性までいた[17]。冬季は放水が休止されていたが、新たな観光名所となった後、冬季はサンタクロースを彷彿させる赤い衣装に衣装替えされて、観光客の目を楽しませた[18]。
閉業
最盛期の170の店舗があったものの[9][11]、1980年代の大型店の進出の影響を受けて、廃業が続出した。市場商業共同組合理事長も「市中心部に大型スーパーができてから、売上が2割から3割は減った」と語っていた[1]。1990年代には後継者不足や高齢化といった問題もあり、四半世紀で店舗は半減し、1995年には52店にまで減少した[1]。
廃業が相次ぎ、建設当初の3棟の内の約半数が空き店舗となったことから、比較的店舗が多い山側の棟に店舗をまとめることになり、2001年に鮮魚店など7店舗が他の2棟から移転[19]、他の2棟は閉鎖、2012年に撤去された[20][21]。「新生市場」として特売を行ったことで、一時は客数が倍増したが[22]、その後も廃業が相次ぎ、2019年には常設店はわずか5店となった[23]。
2020年3月、市場全体の営業の終了が決定した[2]。建物の老朽化[2]、および店舗が減り維持管理費が賄えないこと、河川法の規定により川の上での建て替えが困難であることが理由である[24]。3月18日から31日にかけて最後の大売り出しが行われ、商品が特価で販売され、常連客が絶え間なく訪れた[25]。最終日の31日には、常連客がなじみの店主に花束やプレゼントを渡して、別れを惜しんだ[26]。
最後まで営業していた5店のうち3店は、小樽中央市場や市内の別の場所へ移転[27]、残る2店は市場閉鎖とともに廃業した[28]。廃業店の一つである干物店は、廃業直前に全国から多数の注文が舞い込み、閉店後も4月初めまで発送作業に追われ、常連客には「これからどこで魚を買えばいいの」と怒られたという[28]。
2020年12月下旬から、市場の解体工事が開始された[20]。観光名所であった妙見小僧も、市場の人々の高齢化と共に、小僧の周りに生い茂る草木を刈る人手も不足したことから、同2020年6月に撤去された[16]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i 「新ふるさと物語 妙見市場 小樽市 古さと人情看板に、都会の人に受ける」『北海道新聞』北海道新聞社、1995年4月30日、央広朝刊、27面。
- ^ a b c 「小樽の妙見市場 今月閉鎖 老朽化で あすあさって大売り出し」『読売新聞』読売新聞社、2020年3月17日、東京朝刊、29面。
- ^ a b 山田航「小樽・妙見川の妙見小僧 小便で消す導火線この髄にとっくに点火済みだとしても」『北海道新聞』北海道新聞社、2017年11月17日、圏B夕刊、7面。
- ^ “河川に関することについて”. 小樽市 (2021年2月4日). 2025年7月5日閲覧。
- ^ 妙見川は、小樽市内を流れる於古発川(おこばちがわ)の内、小樽市内中心部を流れる部分の通称であり、神社「妙見堂」があったことが名の由来[1][3]。於古発川は小樽運河へ流れ込む準用河川[3][4]。
- ^ a b c 「市民の台所支える市場・小樽編(2の1)普段着の気楽さ魅力 大型店進出で客数減も」『北海道新聞』北海道新聞社、1996年1月23日、圏B夕刊、9面。
- ^ a b 早川陽子 (2015年4月). “小樽・暮らしとともにある風景” (PDF). センターリポート. 北海道建築指導センター. p. 29. 2025年7月5日閲覧。
- ^ 『小樽市史』 9巻、小樽市、1995年3月24日、737頁。doi:10.11501/9572212。 NCID BC09950051。
- ^ a b c 北海道新聞小樽報道部 著、佐藤圭樹 編『小樽市場物語』ウィルダネス、2002年10月1日、181-183頁。 ISBN 978-4-9901-3330-6。
- ^ a b c d 橋爪紳也「商業空間クリティーク ディスプレイの宇宙 小樽で「水上市場」について考える 妙見市場」『流行観測アクロス』第20巻第11号、パルコ、1994年6月10日、44-45頁、大宅壮一文庫所蔵: 200154603。
- ^ a b c 「マッサンとリタ 小樽の散歩道」『HO』第92号、ぷらんとマガジン社、2015年5月25日、33頁、 NCID BB1880436X。
- ^ 今村敏明「小樽・街角の記憶 10 妙見市場(花園2の11)川の上の「かまぼこ」」『北海道新聞』北海道新聞社、2023年9月5日、樽A朝刊、14面。
- ^ 『余市・小樽における竹鶴政孝とリタ』小樽商科大学、2015年3月、2頁。 NCID BB23346592。
- ^ 阿部謹也「郷味津々 フキタチ(北海道)一橋大教授 阿部謹也さん」『読売新聞』読売新聞社、1989年2月28日、東京夕刊、7面。
- ^ 「きのうきょうあす 地方版から 2005.7.6」『北海道新聞』北海道新聞社、2005年7月6日、全道夕刊、12面。
- ^ a b 西依一憲「つれづれ@小樽報道部 消えた妙見小僧」『北海道新聞』北海道新聞社、2020年12月4日、樽A朝刊、14面。
- ^ 山本倫子「観光の“新名所”誕生 小便小僧が人気 小樽の妙見市場 若い女性ら撮影も」『北海道新聞』北海道新聞社、2005年7月6日、樽B朝刊、29面。
- ^ 「師走の風景 思わず笑顔 妙見小僧も冬服に かわいらしくサンタの装い」『北海道新聞』北海道新聞社、2006年12月19日、樽B朝刊、23面。
- ^ 「10年前 30年前 8月2日」『北海道新聞』北海道新聞社、2011年8月2日、樽A朝刊、20面。
- ^ a b 鈴木孝典「妙見市場 解体進む 小樽」『北海道新聞』北海道新聞社、2021年1月31日、樽B朝刊、15面。
- ^ 「妙見A、B棟解体進む 3月末には於古発川の姿も」『北海道新聞』北海道新聞社、2012年2月18日、樽B朝刊、29面。
- ^ 小樽市場物語 2002, p. 175
- ^ 西依一憲「つれづれ@小樽報道部 地域で支える消費」『北海道新聞』北海道新聞社、2019年9月20日、樽A朝刊、18面。
- ^ 西依一憲「妙見市場 来年にも閉鎖 老朽化、店舗減で小樽市」『北海道新聞』北海道新聞社、2019年10月9日、樽B朝刊、17面。
- ^ 徳留弥生「最後の大売り出し 常連客絶え間なく 妙見市場」『北海道新聞』北海道新聞社、2020年3月19日、樽B朝刊、17面。
- ^ 徳留弥生「台所支え70余年 常連市民ら感謝 妙見市場が最終営業」『北海道新聞』北海道新聞社、2020年4月1日、樽B朝刊、17面。
- ^ 徳留弥生、平田康人「3月閉鎖の小樽・妙見市場で最後まで営業 3店が市内で再出発」『北海道新聞』北海道新聞社、2020年5月13日、樽B朝刊、17面。
- ^ a b 徳留弥生「“潮時”の干物店」『北海道新聞』北海道新聞社、2020年5月19日、全道夕刊、6面。
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